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映画「おくりびと」をご存知でしょうか?
国内はもちろん海外においても「第81回アカデミー賞 外国語映画賞」など多数の賞を受賞し、多くの人びとに感動を与えた作品です。しかし、この作品の原作とも言われている「納棺夫日記」の作者、青木新門氏は、「私はシナリオの初稿の段階で、「おくりびと」と『納棺夫日記』の間にみられる<かはりめ>に気づき、著作権を放棄してでも原作者であることを辞退せざるをえなかった」と、当時の胸の内を「南御堂」誌で語ってくださいました。その真意とは…。
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人が宗教を見失った時

映画「おくりびと」が評判になるにつれ「なぜ原作者名が記されていないのか」とか、『納棺夫日記』を読んだ人からは「原作ではないのか」とよく聞かれた。
私はその度にあいまいな返事をしてやり過ごして来たが、それは『納棺夫日記』が目指すところと映画「おくりびと」は似て非なる作品となっていたからであった。真実は真っ向から反対されても滅びることはないが、似て非なるものによって消されるのは世の常である。
私は後生を一大事とする念仏の風土で育ち、納棺の現場で死者たちから後生の一大事を教わって著したのが『納棺夫日記』であった。ところが映画は今生だけが描かれていて、後生を完全に削除したものとなっていた。
私はシナリオの初稿の段階で、「おくりびと」と『納棺夫日記』の間にみられる<かはりめ>に気づき、著作権を放棄してでも原作者であることを辞退せざるをえなかった。
映画「おくりびと」には枕経をあげる僧侶の後ろ姿も登場しない。今日の既存宗教やその葬送のあり方に拒否反応を示しながら、愛別離苦の悲しみを如何に癒すかというグリーフ・ワークの人間愛で終わっていた。まさに近代ヨーロッパ思想のヒューマニズム(人間中心主義)から一歩も出ない構図であった。
人は宗教を見失ったとき、癒しを求める。そんな現代人に見事にフィットしたのが「おくりびと」であり「千の風になって」であった。

葬式離れは当然のこと

戦後の作家や知識人たちが「死んだら何もないよ、無だよ」などと後生を否定する発言をしていながら、実際死に直面すると哀れなほどうろたえているのを見る度に、蓮如上人のお言葉が浮かぶ。
「それ八万の法蔵をしるというとも、後生をしらざる人を愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後生をしるを智者とすといえり」(御文・第五帖)
今日葬送の現場では、直葬だとか自然葬だとか偲ぶ会やお別れ会と称して、宗教を排除して行われる葬儀のあり方が話題になっている。しかしそうした葬儀は全体の数パーセントにすぎない。九割近くは現在も仏教葬で行われている。だがその九割の仏教葬に問題があるのである。いつ崩壊してもおかしくないほど形骸化しているからである。
本尊中心の荘厳壇であったはずの葬儀壇が、故人の遺影中心の祭壇にとって代わられ、死者と語り合う場であったはずのお通夜が告別式のようになってしまっている。まさに人間中心、自我中心の現象がまかり通っている。
今生のみが一大事と信じ後生を信じない遺族や会葬者を前にして、後の世へ送る作法で葬儀を執り行っているのが現状である。私の目には厳粛に執行している僧侶が裸の王様のように映る。まして浄土往生を説きながら浄土への願生も欲生もない浄土門の僧や、成仏せよと言いながら成仏への発菩提心も求道心もない聖道門の僧によって戒名や法名がつけられ葬式の導師を務めている現状がある限り(そうでない立派な方もおられるが)、仏教葬の形骸化や葬式離れが起きても当然のことであろう。

"信なくば"いたずら事(映画「おくりびと」、葬儀について)

私が『納棺夫日記』を上梓して間もなく、東京の飲み屋で偶然出遇った著名な作家に言われた言葉がいまだに記憶に残っている。
「君があの本を書いた青木新門、よい本だけどなぜ宗教のことなど書いたの、あの第三章さえなければ何か賞をとれたのに」と。
映画「おくりびと」でも同じ感慨を味わう結果となった。現代文学は宗教の周辺を扱っているか、人間法然、人間親鸞、人間蓮如と、人間を強調して扱っていないと認められないのである。作家ばかりでなく、宗教学者や僧侶までもが自我を是とするヒューマニズムに洗脳されていて、無我を前提とした仏教を正しく伝えてきた高僧たちが指し示す後生を見ないで指を拡大して見ているようなところがある。指を見ているということは人間を見ていることで、法より機が重視される傾向を生む。機法一体になって初めて後生の一大事がわかるのである。釈尊も「われ亡き後は、法に従え」と言い残されている。
後生とは浄土のことであり、後生を一大事と思えないのは浄土への念仏往生を信じていないということに他ならない。<信なくば>葬式のあり様などいたずら事にすぎない。

作家 青木新門(あおき・しんもん)
1937年生まれ。
早稲田大学中退後、文学を志す。
冠婚葬祭会社に入社し、納棺夫としての自身の体験を『納棺夫日記』として出版。
著書に、『いのちのバトンタッチ』『童話 つららの坊や』など多数。

上記記事は南御堂2月号1面記事として寄稿いただきました。来月も掲載の予定をいたしております。

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